米倉誠一郎:就社ではなく就職へ、今ほど自らの経営資源の蓄積が必要な時代はない〜二枚目の名刺

話題の著書『二枚目の名刺 未来を変える働き方』で、これからの働き方について新しい提言をされた一橋大学 教授 米倉誠一郎氏。ビジネスマンの心構えとして今、改めて何を自分に問い直し、見直すべきか、将来を見据えてどのようなスタンスを持つべきか、お話をうかがった。

不退転の決意なしに、挑戦できる環境が整ってきた

― 「二枚目の名刺」を持とうという提言をなさいました。ローテーションで万能型の人材を育てようとする企業で働く人たちに、大きな意識改革を促す刺激的な提言だったと思います。

もう20~30年くらい、ベンチャーが大事だということを僕は言い続けてきて、やっとベンチャーもやや認知を受けるようになった。ただし、その間いつも様々なところから出てきた反論というのが、「いや、やはり日本は大企業こそ経営資源を蓄積しているのであって、それを活性化させなければ」ということでした。

しかし、大企業における社内ベンチャーがどうだったかというと、成功した例はほとんどないと言ってもいい。つまり不退転の決意なしに、ある種の生ぬるい環境では難しいということかもしれない、と僕は思っていました。

しかし、不退転の決意なしでも色々な挑戦が出来る環境がととのってきた。これまで長い間、大企業で働くということは朝7時に家を出て夜は11時に会社を出るというような生活だったわけです。時間の余裕などない。多少は余裕のある夜や土日に連携したくても、インターネットもメールもなかった。

ところが、今やメールで複雑なデータも送れるし、例えば3Dプリンタの登場で、形状を目の前で見ながら話すこともできるようになった。おお!やっと資源の有効活用に技術が追い付いてきたな、ということを感じています。今こそ、蓄積された経営資源を自由に使える時代だと。

人口減少の時代は一人で二人分働けばいい

― なるほど。技術が状況に追いついて、様々な働き方ができる可能性が広がったと言い替えることもできそうですね。

そうですね。ただここで忘れてはいけないのが、日本はこれから人口減少に向かうということ。これに、なんとか歯止めをかけなければいけない。政府も、2050年に人口が1億人を切るといわれている状況をなんとしても防ぎたい。でも、人口減少に対して、たとえ急ブレーキを踏んでも効いてくるのは20年後、30年後。その間、日本は伸びていくことができるのか。間に合わないぞ、という問題です。

間に合わないというのならば、じゃあ、どうするのか。
人口が減るというなら、すでに存在している人材が一人で二人分働けばいい。そうすれば伸びていくことができるんだ、という風にパラダイムチェンジすればいいのです。

今後は、様々な人材を「多重活用」することを考えていきたいわけです。今、そういう時期にあると思います。

ホワイトカラーもブルーカラーもナレッジワーカーへ

― 働く側としては、そこでいかに活用される人材として存在できるか、ということが、ますます重要になってくるわけですね。

そうですね。実は、ここで問題になるのは、一人ひとりに「はたして今、本当に経営資源が蓄積されているといえるのだろうか?」ということなのですね(笑)。

今の学生たちを見ていると、彼らがしているのは「就職」ではなくて「就社」。
例えば、自分は伊藤忠商事に入りたいと。なぜ?と聞けば、有名な企業だからです、と。これではダメですね。

そうではなくて、例えばこの企業で貿易業務に関するプロフェッショナルになりたいんですということならば、そのためには為替の知識も必要だし国際法の貿易取引についての法律の知識も必要。仕事を通してそうした知識を貪欲に取り込んで経験を積んでいく生き方をするなら「就社」じゃなくて「就職」ということになるのです。

こういう生き方をするなら、たとえその企業がダメになっても、あるいは自分の目指すものと異なる方向に会社が進んでいったとしても、それならば他の企業に行こうという選択肢が出てきます。
つまり、給料が良いからというのではなく、自分のプロフェッショナルとしての蓄積を生かせる所に移ろうという転職が、ここから始まるわけです。

このように考えると、今ほど、自分の中に経営資源を蓄積していく生き方が大事になってきた時代はない、といえますね。

しかも、それはブルーカラーであってもホワイトカラーであっても同じです。

― 仕事の現場のどんな所にいてもナレッジワーカーでなくては、ということですね。

先日、ハンガリーに行った際、ある日本の自動車メーカーの工場を見ていて感じたのは、ラインで働く人々も、与えられた仕事を単純にこなすだけでは仕事がなくなるということ。例えばビッグデータの活用と技術の発達に基づいて、今後ますます生産ラインの仕組みも高度に進化していくでしょう。それに伴う新しい体制作りが必要になってくる。現場のラインの力も向上していかなければ、それも実現できないということになる。

― 日本ではもともと大企業を中心に、ブルーワーカーに対するQC活動が始まり、広く行われてきました。欧米の場合は仕組みとマニュアル、機械の導入でワーカーの生産性を高めようとしてきたわけですが、今のお話をうかがうと急激に変わってきているのですね。

全職種の人々が、それぞれの現場でプロフェッショナルとして新たな付加価値を高めながら、ナレッジワーカーになっていくことが求められているのです。

これからの競争力

― 多様な中小企業の職人などが参加できるプラットフォームが増えると、自らのプロフェッショナリズムが明確であればあるほど役割が見えて参加しやすくなります。そこで職人の暗黙知が形式知として出てくると、日本の中小企業が強くなれるし希望がもてる気がします。一方、万能型の人材育成を目指すローテーションの中にいたホワイトカラーは、何をもってコミットするのでしょうか。

「競争力」とは何か、ということを考えざるを得ないえしょう。競争力というのは、「選ばれる力」なんです。

これまでは、競争力というのは相手を出し抜く力だとか、他の企業より強いモノを持っているといった事だったけれど、実はそうではないのです。顧客から「この企業は面白い」「この企業を選びたい」と思われて、選ばれる力。それが競争力。

ホワイトカラーの場合、トータルで「選ばれる力」を持つ必要がある。ところが、これまで日本はそういう人材を育ててきませんでした。本当の意味で選ばれる力を持った人間ではなくて、企業が選びやすい人間を作ってきてしまったのです。

今、必要なのは選ばれる人間としての、自らの力。これは企業ではなくて個々が自分の責任において自ら蓄積していくものです。

個人か、チームか

― ただ、日本では「そんな風に、個人がそれぞれ自分こそプロフェッショナルだと言い出したら会社はガタガタになってしまう」というのが、ありがちな反応でしょうね。

それに対しては、こう答えたい。
カルロス・ゴーンさんに、「あなたは、チームが大事だと言う一方で個人も大事だと言う。一体、どちらなんだ?」と聞いたことがあります。予想していた答えは、「両方大事」といった曖昧なもの。ところが、彼は明確に

「個人だよ」

と断言しました。強い個人を集めないと強いチームはできないんだ。でも強い個人が集まるとチームはバラバラになる。「だから、俺が必要なんじゃないか」と。

これは、僕にとって、ものすごい衝撃でした。

日本人は、一人ひとりが弱いからチームになって戦うんだ、チームになれば負けないぞというのがビジネスの場でも言われ続けて、皆そう思ってきたわけです。でも、これじゃワールドクラスでは戦えない。

サッカーだって、弱い奴が集まったチームと、強い奴ばかり集まったチームで戦ったら、やはり強い者たちが勝つでしょう(笑)。

だから、やはり一人ひとりが強くなれと言いたいです。ただし、それをまとめるプロフェッショナルとしてのマネジメントが必要だということ。
日本ではローテーションしてからマネジメントになるが、マネジメントとは本来、別のトラックとして学習すべきものなのかもしれない。

― プロフェッショナルとして対峙し、まとめ上げる力ということですね。

強い個人が集まると会社がバラバラになってしまうと言われるけれど、実は、個人主義になればなるほどチームが大事になってくるのです。

これは、ジョン・スチュアート・ミルの個人主義にも通じますが、「自分が一番大事」と思う個人主義者は、他の人も同様だと思う。したがって、個人主義は他者の存在を尊重するひとなのです。この前提でチームを作り上げていくのと、「滅私奉公、個人より全体が大事」という前提で作るチームは、違うのです。チームをどう作り上げるかという、このパラダイムチェンジが今、必要です。

プロフェッショナルを育てようとすれば、ギラギラと個性的な人間が集まってくる。なぜなら、個性を殺したプロフェッショナルなんてありえませんからね。

そんな彼ら一人ひとりがチームに貢献するようになるには、マネジメントの力が必要なのです。

― マネジメントを外から入れるという解決策も、一つにはありますよね。

そうですね。サッカーのアナロジーではないですが、優秀な監督が必ずしも優秀な選手ではなかった。したがって、時には社外から優秀なマネジャー引張ってきて、個々がチームの中で最も高いパフォーマンスを上げるにはどうすればよいか、ということを考える手段も十分にあるわけです。
こうした、外部マネジャーの登用もあちこちで、兆しがみられるようになったとは思います。

誰もが社長、誰もが事務次官という幻想

ひとつには外資系のコンサルタント会社や投資銀行などに行きたいというタイプ。二つ目が、いわゆる日系大企業に行きたいというタイプ。あとは、ベンチャー企業就職や自分で起業したいという3タイプに分けられるかもしれません。もちろん、公務員やNPOという選択もあります。このチョイスの中では、やはり日系大企業に行きたいという学生が多いですね。

つまりローリスク、ミドルリターンという選択肢です。日系大企業は外資系企業への就職や自らの起業に比べると決してハイリターンとはいかないけれど、それなりにリターンもあるし、強制的な退社もほとんどない。しかも、大学の名前や部活の活躍で採ってくれる。ある意味で小賢しいが、まあ厳しい受験を勝ち抜いていい大学に入ったのだから、そこへ行かない手はない。そういう選択をする学生が多いというのも仕方がないのかもしれません。

一方悪いことに、企業の側も大学の名前で学生を採る慣習がある。大学で何を学んだかではなく、大学の名前で人材を採るということは、下手をすると高校生当時の実力で人を採るということなのです。人生のピークが高校3年生の人間を集めて、後は楽して暮らそうということでは大企業は衰退します。

また、人事考課やキャリアの設定が曖昧だったのも大企業の活力を弱めたと思います。かつての日本の組織、とりわけ役所がそうでしたが、極端な言い方をすれば誰もが社長に、あるいは事務次官になれるという幻想を抱かせて走らせてきた。ある意味、安い給料でも、長時間の残業でも、高度経済成長下の幻想で引っ張ってこれたわけです。

僕の大学の同期も、「俺は将来、社長になるぞ」と言って卒業しました。その方法はと聞くと、「まず現場に出る。それから海外子会社へ出る。それで人事部に所属して、それから専務の娘を嫁に貰う(笑)。で、最後は社長室にいって社長だ」などとうそぶいていました。しかし、これをキャリア形成とは言わないでしょう(笑)。ところが、昔はそういうのが社長への道だと皆、思っていたわけです。企業に入ってしまえば全ては企業がお膳立てをしてくれるはずだった。

誰も経理のプロ、マーケティングのプロ、生産管理のプロになるといった発想はなかった。この就職ではなく就社という感覚がいまだに学生の間にありますね。

― 一方、今、外資系企業に入ってキャリアを積もうという学生は、短期間に集中的にハードな環境で困難な課題をこなすという経験をします。プロフェッショナルになるために必要な経験ができます。

マッキンゼーなどの外資系コンサルに行きたいという学生の場合は、むしろそこに挑戦することを目的にしています。凝縮された時間の中で多様な産業、多様な業務に挑戦することができる。そこを乗り越えると、できないことはないと思える自信がつくわけです。短い間に地獄の特訓みたいな機会を与えられる。その点で厳しい外資系は面白い選択肢ですね。しかし、入るのも難しいし、力が無ければ途中下車もあり得る。ある意味ハイリスク・ハイリターンですね。

選ばれるプロフェッショナルになるには

― 日本企業のローテーションの弊害については、どう思われますか。異動してきた情報システム部の新しい部長に「システムの事が分からないのでよろしく」と挨拶されて、ベンダーの側は「しめしめ…」とることとや、宣伝部長が代理店に丸め込まれるといったことも起きていました。最近は、IT系のコンサルティングをしていた人が中途入社して、自分で適切に仕様の評価をして、見積もりを一桁下げたり、最終的な責任は自分が負うからと決断できる人も増えたりしていますが。

その通りですね。これまでの日本企業は、ローテーションでゼネラルマネジャーを育成してきましたが、プロフェッショナルがいないのが問題。データアナリストがいないところでマーケティングをしたり、新しい技術動向も分からずにIT部門を担当したりする。会社の色々な部署を知っているゼネラルマネジャーの存在は大事ですが、やはり一本筋の入ったプロフェッショナリズムが必要です。その意味で、T型人材育成の必要性が叫ばれているのです。

ただ、大企業の良い点は、体力があるから組織の中でT型人材の育成ができること。事実、日本で人材を最も蓄積しているのは大企業ですから、そうした人材を遊ばせないで、多重に活用して強いチームを作って欲しいと思います。一つのことに秀でたプロフェッショナル・マネーシャーはゼネラルなことも出来る。そうして強い個人が集まった強いチームを作って欲しい。また、緊張感を高めるために、マネジメントのプロを外から採って来る手もある。

サッカーでも、プロフェッショナルの監督のマーケットがあり、プロフェッショナルな選手のマーケットもあり、それを回すバランスを考えるチーム経営のプロ集団もある。プロフェッショナルの集まりでできあがっているのです。そのうえで、顧客が求めている最高のサービスとパフォーマンスを提供するという世界。経営も同じだと思います。

― プロフェッショナル・マネージャーを目指すのも一つの生き方ですね。

そうですね。しかし、はじめは各分野でのプロ、すなわち商品開発、素材関係、あるいはマーケティング、経理、人事などのプロフェッショナルを目指すことが大事だと思います。一つの分野で深い知識と経験を積んだプロは、ゼネラルなマネジメントもできる可能性があるが、その逆は難しい。一つの専門分野で「選ばれる人間」としての力を培い、知識と経験を蓄積していこうという考え方をすることが今後大切だと思います。就社ではなく就職になれば、たとえ企業が潰れてしまっても、自分にプロフェッショナルの力があれば、新しいところへ動いていける。そういう人材が増えていって、もう少し流動性が高まってくるといいですね。

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競争力のある人材、すなわち「選ばれる人材」として、自らの経験を磨き、その経験をもっとも大きく発揮させてくれる場所で働く。企業がもしその場を提供できないならば、できる企業に有能な人材は移動する。そうなると企業と働く人との間に緊張感が生まれる。こう書くと何か殺伐とした企業像が目に浮かぶかもしれないが、僕にはプロのミュージシャンたちが集う愉快なスタジオのような風景が目に浮かぶ。

一度しかない人生、何よりプロフェッショナルとして自らを磨き続ける意識と楽しく生きる気持ちが重要だ。

 

 

 

(インタビュアー 藤元健太郎、執筆 小林利恵子)

プロフィール

米倉誠一郎(よねくら・せいいちろう) 一橋大学 イノベーション研究センター 教授

1953年、東京生まれ。一橋大学社会学部、経済学部卒業。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。ハーバード大学歴史学博士号取得(PhD.)。95年一橋大学商学部産業経営研究所教授、97年より同大学イノベーション研究センター教授。2012年〜2014年、プレトリア大学GIBS日本研究センター所長を兼務。また、Japan- Somaliland Ope University 学長のほか、六本木アカデミーヒルズの「日本元気塾」塾長を務める。『創発的破壊未来をつくるイノベーション』『脱カリスマ時代のリーダー論』『経営革命の構造』『2枚目の名刺 未来を変える働き方』など多数の著書がある。

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Sho Sato

D4DRアナリスト。Web分析からスマートシティプロジェクトまで幅広い領域に携わる。究極のゆとり世代の一員として働き方改革に取り組んでいる。

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